差別はなくなる?


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きのう(2005/10/1)の朝日新聞に面白い記事が載ってました。

右の本物の写真と、画像処理して太らせた写真、これを履歴書に貼って求人している企業に送ってみると、本物は57%が前向きな反応を示したのに対し、肥満写真に対しては38%。

これは人が外見で判断されるという明らかな証拠ですが、実際のところ周囲を見ればそれは厳然たる事実であって、口には出さない暗黙の了解みたいな部分もあるわけで……。

フランスでは「身体的特徴で採用の可否を決めるのは違法行為」だそうで、この実験をした教授は「たとえ無意識だとしても、見かけによる差別があるのは明白。履歴書から早急に写真をはずすべきだ」と語ったそうです。

確かに差別される側からすると当然の願いなわけですが、3000年も前のダビデ王の時代にすでに、人間とは外見を見るものであることが記録されています。→ダビデ物語

仮に履歴書から写真が消えたとしても、外見による差別は消えないでしょう。雇用する側にしても、人というものが外見で判断する傾向が強い以上、特に接客業などで従業員の外見は無視できないはずです。容姿、年齢、性別、学歴、収入、職業、その他ありとあらゆるものによって差別されることは決してなくならないことでしょう。

近年、差別をなくそうとする動きがあることは望ましいことですし、ぜひ不当な差別は減ってほしいものです。…が、人の心から差別意識がなくなることは絶対にないでしょう。他人と自分とを比べ、人より劣っていれば落胆し、人並みであるならほっとし、人より優れていれば優越感を持ったり見下したり…。差別反対を訴える人には差別意識がないかというと、やはりそんなことはない。人間とはそういうものだと思います。

ただ、人間には理性があり、人の立場を思いやる能力があります。人の心から差別意識をまったくなくすことは出来なくても、可能な限り不当な差別をなくそうと努力することはできます。問題なのは、自分に差別意識があることに無自覚で、平然と差別意識を露呈し、他人をグサグサと傷つけている人々かもしれません。もっと悪いことに「差別意識のどこが問題か」と開き直る人もわずかながらいますけどね。

最近、都知事の「ババァ発言」に対する訴えが退けられましたね。個人攻撃ではないので精神的苦痛に賠償責任はなしだそうですが……。それにしても「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」という言葉には驚きました。よく調べてみると、ある東大教授から聞いた話を知事なりに解釈して話したもののようですが……。

つまり東大教授は動物界の事実を述べただけであって、差別的な言葉を使ったわけではないのに、知事の頭の中を通過して口から出てきたときには、差別意識が結びついてしまっていたというのが真相なのではないでしょうか。きっと普段から考えていることが出てきたのでしょう。

それにしてもこういう考えをしている都知事は、奥様にとっちめられたりはしないのでしょうか?? ちなみに私は、夫がそんなことを言ったらとっちめてやります(笑)。


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