広島の空

きょう8月6日は、原爆記念日。昨夜、戦後60年の節目の年にあたってTBSテレビでは『ヒロシマ』と題した特別番組(HP)がありました。

途中から見たのですが、被爆者の生々しい証言は胸に迫るものがありました。この世の地獄絵を見た方たちは、思い出すのもつらそうでしたが、戦争体験者が年々減少するなか、平和の大切さを身をもって語る姿を映像として記録することには大きな価値があると思います。

ベンジャミン・フランクリンは「よい戦争、悪い平和など かつてあったためしがない"There never was a good war or a bad peace."」(英文格言集)と語ったそうです。

ですが、原爆を開発し、それを投下後、上空から広島を撮影した、年老いた博士は、広島の平和記念資料館を訪れたとき、爆弾の模型を見つけると自分の業績を得意そうに語り、苦しむ人々の写真を見ても、なんの感情もないかのように、すっと通り過ぎました。さらに被爆者2人と対談したときには「自分たちには『パールハーバーを忘れるな』という合言葉がある、私だって友人を殺されたのだ、原爆投下は間違っていなかった」と主張……。せめて「あの時は仕方がなかったのです」くらい言うならまだ許せるでしょうに、実際に苦しんでいる人を目の前にしての、まったく悪びれるところのない態度は、被害者の苦しみと悲しみをいっそう募らせるものとなったに違いないです。なんと残念な対面になってしまったんでしょう。登場の最初から最後まで、たとえ一瞬でも悔いる気持ちが表情に表れないかと、じっと見ていましたが、私の見た限りそれはありませんでした。謝罪をする、しないという問題以前に、人間らしい心が見えませんでした。


話は変わりますが、きょうの夕方4時半から、長崎、稲佐山公園(photo)野外ステージでは、さだまさし、加山雄三、岩崎宏美ほかの皆さんで、広島の空に向かってコンサートが開かれているはずです。コンサートの最後のほうで必ず歌われる『広島の空』という歌は、大好きな歌のひとつです。(聴かない人はかなり損かも…私的意見です…笑)。

     広島の空      さだまさし
♪ ……In August nine 1945
  この町が燃え尽きたあの日
  叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた
  気付いた時 炎の海に 独りさまよい乍ら
  やはり振り返ったら  稲佐の山が見えた
  もううらんでいないと彼女は言った
  武器だけを憎んでも仕方がないと
  むしろ悪魔を産み出す自分の
  心をうらむべきだから どうか
  くり返さないで …… ♪

ここで試聴できます。



同番組をご覧になった方のご意見。ページの一番下(05/8/6)

05/08/11 追記

■ 8/11の毎日新聞夕刊に、南こうせつさんが、毎年 8/6 広島で”広島PEACEコンサート”を開いていることが書かれていました。1986年からで、今年は、かぐや姫を再結成し、森山良子さんもゲストに加わったそうです。同じ日に、長崎と広島で平和コンサートが行われていたんですね。知りませんでした。以下は関連Webページです。

「ヒロシマヒロシマ 60 60」PDFファイル    中継された万博会場

■ 『8月6日 我々は何をしたのだ』

 8/6 の毎日新聞朝刊に「広島・長崎1945年 8月6日 我々は何をしたのだ」というコラムがありました。その中には次のようなことが書かれていました。

テニアン。午前2時45分、機長ティベッツら乗員12人のB29「エノラ・ゲイ」が飛び立った。[中略]
 スティーブン・ウォーカー著「SHOCK WAVE(衝撃波)」によると、その瞬間エノラ・ゲイの機内は強烈な閃光を浴び、次の瞬間、衝撃波が押し寄せて機体を2回、激しくたたいた。インターコムに乗員たちの絶叫が交錯した。
 巨大なきのこ雲に乗員たちは息をのんだ。地面が沸騰しているようだった。[中略]
 副操縦士ルイスは書き残した。「我々は何をやったんだ。もし100年生きても、この数分間の出来事を決して忘れない」

さらに米国立公文書館には、ある乗員が語った次の言葉が残されているそうです。

「その中には死以外何もなかった」

日本人も戦争中、各国で残虐行為を行い、実際、原爆投下後には、捕虜になっていた数人の米軍兵士が自分がやったわけでもないことのために、怒りの矛先を向けられ犠牲となったそうです。戦争とは、悲しい悲しい、愚かしい行為……。


左にフレームが表示されていない場合はここをクリック    掲載2005-08-06 ; 8/7 改訂 ; 8/11 追記

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