映画『長江』を数カ月前(2003年3月)にDVDを購入して観ました。この映画は、中国に対するわたしの見方を一変させるものでした。 |
これに関しては、さだまさしさんがまだ20代の若さで何十億という借金を作った原因として有名で、ご本人もさぞ苦しかったでしょうけれど、笑い話の種にしているせいか、その記録映画としての価値は知られていないのではないかと思います。わたしも歌のほうは30年来、細々とファンでしたが、映画については、きっと芸能人のお遊び程度のものかもしれないと、正直いってあまり期待していなかったのですが(ごめんなさいm(__)m)、ネット上で読んだ評判に半信半疑で購入してみたのです。
そして観てみたら、「さださん! よくぞ借金をしてまで作ってくれました!」と思ってしまいました。映画は「監督・主演 さだまさし」となっていますが、わたしは主演はさださんではなく、広大な中国大陸にかつて生き、また現在生きているすべての人々だと思いました。
さださんの親や祖父母が暮らした中国を、ご自分の目で確認したい、なかでも長江(揚子江)の最初の一滴を見たいとの目的で、それを河口から源流に向かって辿り、川沿いの都市を訪れるという、ただそれだけの記録と言っては失礼なのですが、二十数年前の、まだ人々が人民服を着ていたころの中国がしっかりと記録に残されています。その記録映画としての本当の価値は、きっといつか理解されるに違いないと思います。
まず最初は、ヘリコプターによる空撮が多用されていて、中国の広大さ、また土木技術のすばらしさを感じました。長江に架かる橋の長さははっきり覚えていないのですが数千メートルだったと思います。それも最近ではなく数十年前に造ったものです。万里の長城も出ていましたが、あれも偉業です。その長さといったら半端ではありませんし…。
それから、山の岩肌に彫られた巨大な石仏。だれが彫ったのかは知りませんが、それにかかわった人々はどんな思いを抱きながらその仕事を成し遂げたのだろうかと思いを馳せてしまいました。「我らが先人たちは、何を目的に生きてきたんだろうか」「何に生き甲斐を見出してきたんだろうか」と。人々がこの世を去っても、そのやり遂げた仕事を何千年も後に生きる人が目にできるというのはすごいことです。人は自分が生きた証をどこかに刻みつけずにはおれないものなんでしょうね。
楽山(ローシャン)の石仏は→こちら(NHK世界遺産)。耳の長さだけでも7m!だそうです。
漢詩もいくらか出てきますが、さださんもそれら詩人たちが描いた風景をじかに見たいと思ったそうです。が、現地の人から詩に詠われた場所は今は見る影もないけれど、似たような風景なら別の場所で見られると言われて、期待していた場所はあきらめたという話も出てきました。
ちょっと脱線しますが、しばらく前にNHKで漢詩を扱った番組がありました。わたしはほんの少し見たことがあるだけですが、漢詩の世界もすばらしいなと思いました(わたしは杜甫の春望ぐらいしか覚えていなくて詳しくありません)。NHKのアナウンサーの朗読がまた良かったです。
中国の文化はすばらしいと思います。詩だけでなく、孔子などの語った言葉も脈々と受け継がれ、今でも多くの人に愛されていますし……。早くから文字があったことも関係しているかもしれませんが、いろいろな文化が何千年も伝わっていること、そしてそれを時代を超えて自分の目で確認できる、そこがすごい。対して日本の昔の記録は些細なものです。人々は消えてしまっても死後に何かを残している……、死んでしまったら後の時代の人々が自分をどう評価するかなんて知る由もないんですが、でもそんな偉業を残せた人は幸せじゃないかって思います。大部分の人は後世の人から存在価値を認められることなく無名のまま消えていったのですから。もちろん多くの無名の人があってこそ、今の文化があるわけで、価値がないというよりも、知らないだけなんですが……。
ほかにも、戦争中捕虜になった日本人が入れられた豚小屋のような場所も出てきました。壁に書かれた日本語の文字、はっきり読めないのですが、捕虜たちがどんな気持ちで望郷の思いをそこに書き付けたのだろうか、その人たちはどうなったのだろうかと……、できれば確認したい気持ちになりました。
ほかにもたくさんの場面がありましたが、人が生きるってなんだろうと色々なところで考えさせられる映画でした。
以下はこの映画の主題歌の一部です。
生生流転
|